生きながら鉛筆にされ秋気澄む 関悦史

関悦史さんの句集、『六十億本の回転する曲がつた棒』(邑書林)。えーと、この句集はジャケ買いです。もっと言うと、タイトル買いです。タイトルの元になったのは、箱根彫刻の森美術館にある「16本の回転する曲がった棒」という作品のもじりだそうですが、収録句のキーワードをタイトルにした句集が多い中、イカしてると思います。ボクには難しい上に漢字辞書が手放せなかった句集なのですが、収録句も多かったのでかなりどっぷり浸かりました。で、掲句です。

 

生きながら鉛筆にされ秋気澄む  関悦史

 

この句には、「<<悪夢で目覚める。友達が死刑を宣告されて、その死刑の方法が(・・・)>>谷雄介のツイート」という前文(前書き?)がありますが、存じ上げないのでとりあえず置いといて・・・。

生きたまま鉛筆にされちゃう。自分だけではなにも表現できなくなるし、研ぎ澄ます(あ、削って芯をとがらすことね)もできない。必要とされなければ、筆箱の中とかペン立てで眠ったまま。そんな状況を想像すると、少しひんやりとした、でもある意味俗世間からの解放感というか逃避感のようなものがあって、秋の澄んだ感じと、どことなくマッチする気がします。

さて、生きながら鉛筆にされるっていうのはどんな感じなのでしょうか。「こらこらかじるな!」とか「テストのたびに転がすなよ目がまわる~」などとあまりに擬人化してしまうと秋気澄むっぽくないですよね。なので、生きながら鉛筆になったとしたら相当感覚は限られてくると思うので、3つだけ許してあげることにします。

ひとつ目は、芯が折れたときの痛覚。ふたつ目は、マニキュアに対する臭覚。みっつ目が、秋気を感じる感覚。

ポキっと折れたときの強烈な痛みは、それこそ気が遠くなることでしょう。自分の体の一部がなくなってしまうし、なにしろ寿命に直結します。たぶん、生きてるって感じを味わえますよね。痛いけど。でもそのたびに、残された時間は短くなっていく。あとは、女性に使ってもらったときだけ、しかもマニキュアを塗った人が使うときだけ、あのシンナーっぽい匂いが感じられる。唯一の楽しみというわけ。それから、秋も仲秋に入ったころに、澄んだ空気を感じる感覚。「秋だ・・・」と思うと同時に、一瞬人間だったころを思い出す。その刹那の感覚と、あと何回これを感じるのかなって思い、そうかこれが罰なんだって思った途端、すぐにただの鉛筆に戻ってしまう。もうあとは考えることも感じることもできない。自分で考えといてナンですが、なんだか切なくてやりきれなくなってきます。・・・ということで、また妄想に走りましたが、好きな句です。

ほかには、「俺の後ろの秋麗を指し誰といふ」 「ボンデージのなかにぴつちりあきのくれ」あたりも好きです。あれ。どっちも秋の句ですね(^^