人うせてすきまの残る夏の昼 鴇田智哉

鴇田さんの第二句集が発売された・・・!と聞いて、さて注文注文・・・と思っていた(地方の書店に句集が置かれることはめったにないのだ!)ところへ、ふらんす堂から包みがひとつ。ん?なに?と開封してみたら鴇田智哉句集「凧と円柱」ではないですか。ご親切にもご恵贈くださったのです。あんだおー。ちゃんと買うのにー。と思いつつありがたく拝読しました。なんだろ、言葉の使い方とか置き方とか並べ方とか、勉強になるし惹かれるものがありますよね。自分の作りたいのってこういう感じかなーって気もするので、なおのこと惹かれるのかなーと思います。ずっと感想書けないままでしたが(・・;) で、数ある気になった句の中から、掲句です。

 

人うせてすきまの残る夏の昼 鴇田智哉

 

言葉の並べかたがいいですよね。「人」「すきま」「昼」。ただ普通に並べただけかもしれませんが、バランス感覚がすごく優れていると思います。言葉だけじゃなくて、その中身の大小も含めて配置されているんじゃないのかなという気さえしてきますね。それに、相関性もあるように見えてきます。例えば、人の中にもすきまはあるだろうし、夏の昼なんて、それこそ時間のすきまに存在しているようなもんですもんね。あり?そうするとこの句、「すきま」がポイントなんだろうか。

でもいったんそれは置いといて、飛躍せずに内容を見つめてみると、人がいなくなったあとに「すきまが残る」というのがとってもいい感じと思います。その人がいた形跡とか匂いとか、そういうことを言わずに、からっぽになった空間が残ったっていうことで、その人の大きさ(言葉どおりの大きさ)を受け手それぞれの感覚で想像させるとこなんて、んまいな一…って思わされますね。

それから、やっぱり「すきま」が「残る」というところにひっかかりますね。すきまが「できる」じゃないんです。「残る」。つまり、人とすきまは(表裏どちらかはひとによりますが)一体のもので、人だけがいなくなったところにすきまが「残った」んですね。残ったすきまは、その後誰かのすきまとして別の生を受けるのか、あるいはもとの人に戻ろうとするのか…気になります。

ほかには、「いきものは凧からのびてくる糸か」、「春めくと枝にあたってから気づく」、「春昼のだれもの曲がる角のあり」などなど、他にも気になる句多数でしたよ。