秋の野にゐてポケットのある不便 佐藤文香

また季節外れの句を取り上げちゃったよ・・・というのはさておき。ある意味俳句界のアイドル的存在・・・かどうかわかりませんが、いけるかいけないかで言ったら、いけるほうだと思います(イミフ)。・・・すいません。佐藤文香さんといえば、やっぱり「少女みな紺の水着を絞りけり」から入っているのですが、Twitterで発言を追っているうちに句集が読みたくなり、ネットの書店等探しましたが見当たらず、やむなく楽天オークションで中古本を新品同額で購入したら、その後なんとご本人がブログで増刷(?)を告知していたといういわくつき。・・・クソ。などと言ってもしかたありません。で、句集『海藻標本』(ふらんす堂)から掲句です。【※注 増刷されて今は買えるみたいです】

 

秋の野にゐてポケットのある不便  佐藤文香

 

なくて不便なことはあっても、あって不便なことなんてあるのでしょうか。ついなにかを入れたくなっちゃうから、せっかくの秋の思索を邪魔しちゃうとかそういうことなのかな・・・と最初思っていましたがそれじゃつまらないですよね。で、ポケットってどんな存在なのか考えてみました。

もうこの年になると、ポケットの中に入れるものって決まっていますよね。配置さえも。ボクの場合は、右前のポケットはケータイ、左前は鍵、右後ろはからっぽ、左後ろは財布。で、一時的に何かを入れる場合に右後ろを使っています(普段使わない鍵とか、レシートを仮に入れたりとか)。だから、4つのポケットは全部役割が決まっていて、それ以外のものを入れたら居心地が悪いのです。ポケットってなんでも入れられるようで、実はその人によって決まった目的にしか使われなかったりするんです。

なんでも入れられるようで、じつはそうじゃない。なんでもできるようで、決まったことしかできない。秋の野で、ぽつんとひとりきりでいるときに、なんでもできるような気分になってみたけど、自分のポケットは思ったほど自由がなくて、自分自身にだってそんなに自由度がない。野っぱらに吹き抜ける風が、ポケットを通り抜けるようでいてそんなに風通しがよくなくて、なんだか狭苦しい。そんな風に考え込んでしまったら、やりきれないですね。

初見の不思議さでこの句をずっとメモしてあったのですが、あんまり深く考えていませんでした。いや、いまも深く考えたかっていったらそうでもなくて、ビールで酔っ払った頭でこうして文章を書いているわけですが、救いのポケットがあるはずなのにあんまり救いになっていない、そんな寂しさがにじんでくるような気さえしています。

そういえば、「飛び込め!かわずくん」の中に、こんな句がありました。

秋思には取手がなくてああ不便 ペペ女

これも好きな句なのですが、「なくて不便」よりも「あって不便」のほうが、考えどころがたくさんあるかなぁ・・・という気がしますね。